PROFILE
北上尾 三井歯科医院 院長紹介
北上尾 三井歯科院長:萩原寛司
座右銘は初心生涯です。
「一生涯、最初の気持ちでいることを忘れない。」
私の曽祖父は真塩紋弥という江戸時代後期から、明治にかけて、弱い立場の農民を守るため(群馬5大事件の一つ、中野秣場騒動で、惣代を務め、のちに旧群馬町に「真鹽紋彌翁之碑」記念碑が建てられました。その碑には、67代内閣総理大臣福田 赳夫の名がきざまれています)命がけで、明治政府と闘った漢学者です。
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門弟の一人、八十六歳平田徳左エ門老の「真塩紋弥翁の生立ちと生涯」と題する追悼文が残されています。
「思うに先生の生涯を貫く物は、其経歴が示す如く重農主義で、群馬の農民の前進を記念したに外ならない更に農民運動の中にある先駆者義民佐倉宗吾或は茂左エ門の如く尊敬されながらも其晩年は悲惨であった。所謂農村の先達の姿こそ蝋燭の火の如く自らを焼き尽くすまで、真塩先生も其歴史の中の一人であると思う。今や其の火は燃え尽くして上毛の一角に消え去った。
是は余りにも悲劇的な学者の幕切れであった。併し邪心のない先生の眦より迸る愛性、惜しみなく与えられる光は普く後輩の心に宿り、是から多難なる道を明るく照らしてくれるに相違ない、四十有年の長期に渡り、三百有余の後輩の指導に心を砕き先の生涯は印象的な終幕で共に我々門弟の中に刻み困れて消ゆる事ではないと思ふ。
斯く如く多忙の極みある中にも閑ある時は筆墨を楽しみ、或時は内助の功ある妻さだ、娘あつを交え孫を抱いて好々爺ぶりを示した事もある、実に先生の脳裡からは清水の湧くが如く思ふ事出てくるので、当時沢山の詩作作歌更に先生の獄中の記録等遺墨等数々あるが、今や当時の遺跡を尋ねるに由なきは重々残念に思ふ。
昭和四拾二年二月生残りの一人として記す」
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(高崎図書館市史担当部署所蔵) たなか踏基著 桜樹の塚「文明開化に引き裂かれた真塩紋弥」より引用
また、祖父は20歳の時、柔術の免許皆伝を受けた柔術家であり、柔道整復師でした。貧しい農民の患者さんが、多かったため「ある時払いの催促なし」で治療をしていたそうです。
母から、心が広く、温かく、強い指導力のあった方達だったと聞いています。
それに比べ、私は、創造力、奉仕の精神、指導力において全く、及びません。
今、私に出来ることは、心を込めて丁寧に患者さんを診ることです。そうして、曽祖父、祖父の精神を受け継ぎ「なくてはならぬ人に」なれるよう「初心生涯」の気持ちで精進してまいります。
小説家の患者さんが、曽祖父、祖父を題材にした
小説を執筆してくださいました。
桜樹の塚「文明開化に引き裂かれた真塩紋弥」
経歴
出身大学:明海大学歯学部
卒業後、口腔外科第一講座に入局、6年間勤務、うち、一年間、埼玉医科大学、麻酔科にて研修。
退職後、諸先輩の許で臨床指導を受けるとともに、インプラント、義歯、歯周治療、歯内治療、
矯正、小児矯正、審美歯科等、講習会受講。 その後、医療法人社団翔栄会 歯科羽倉医院に勤務、
平成13年、北上尾に三井歯科医院開設 、院長就任、現在に至る。
所属研究会:日本口腔インプラント学会
日本再生医療学会
日本有病者歯科医療学会